耐震偽装とJR福知山線脱線事故

片や一人の建築士が起こした構造計算書偽装、片や一人の運転士が起こした速度超過。事件の現実はある意味それだけかもしれない。それが大きな事件になり日本中を巻き込んだ大騒動に発展する。どちらも日本の社会そのものの問題とまで大きな話になったりする。どちらも自由化や民営化がらみで語られる事もあった。マスコミもブログもそういう意味では同罪である。いわゆる外野が煩い、野次馬の喧騒というやつ。自分が関係ないところで言いたい放題。言い放しではダメなのだろう。まずは自分の行動で示せよ。こういう事が起こった、それを受けてあなたは私はこれからどう行動するのか。そういう世の中だからそれに順じて生きるのか、それを変えようと志向するのか。
 それと今回の羽越線脱線事故ですが、あれは不運としかいいようがないのでは。一体突風という予想不可能な事象にどうやって対応するのだろう。もちろん膨大な観測装置を全路線に配置すればそれなりに効果はあるかもしれない。それでさえ警告が出た時はもう遅いかもしれないのに。事故とは常に回避できるものではない。それはそうだができる事を全てやっていたのかが問われるわけだろう。できもしないことをやるといって実効性のない対策をいくつか発表して終わりにするのが一番良くない結末だ。そんなことなら世間の反発を受けても、今回の事故はJR東日本には一切過失は無かったと発表した方が潔い。まさかいずれそういう結論が出るとしても、真相が明らかになるまでは責任は自分にあるとしておいた方が心情的に受けがいいだろうという判断ならそういうのは止めて欲しいよ。