日本そのものがニート化

アメリカの風景 シカゴの法律事務所から:ライブドア問題と民主主義 - livedoor Blog(ブログ)

それよりも、目に付くのは、エモーショナルな形容詞ばかりである。悪質な錬金術師に始まり、マネー市場主義、金儲け主義に天罰があたったかのような記述しかない。問題は、株式市場で資金を調達したり、M&Aを繰り返すことではなく、コンプライアンス法令遵守)のシステムが、ライブドアではかけているのではないか、ということであり、その開示基準がどうなっていて、それにどう反したかということであろう。事実の分析的な報道をせず、主要なマスコミがすべて最初から違法、悪と決め付けてかかって書いて、その偏見を助長するような形容詞を多用している様は、気持ちが悪い。アメリカの報道なら、こういった金太郎飴のような報道姿勢にはならないということは、確かだろう。

まったく

ライブドア本社の捜索では、あらいざらいの資料とパソコン、サーバーも押収されて持っていかれたようである。捜索差押令状というものは、その被疑事件に関して、被疑事実に限り、発せられるものである。しかし、証券取引法(偽計、風説流布)で、ここまで根こそぎ持っていけるものなのか、改めて脅威というか、恐怖を感じた。

そうそう

捜査機関は、全てを調べる中で、サーバーに保存されている全く第三者の電子メールの内容も全部見れるということではないか? だれが、検察は、そのようなことはしないだろうと言えるのであろうか。もし、そういうことがなされたとすれば、通信の秘密の侵害として憲法違反になることは明らかだろう。ライブドアに関するメールと、第三者が利用するウェブメールの内容とは、きっちりとした分別がなされ、その保障が確保されなければならない。こういうことこそ、マスコミがきちっと主張して捜査機関に対するけん制をすべきところではないのか

そこまでのインパクトをある行動をとるのであれば、検察側にも、それなりの説明責任がでてくるのではないか。アカウンタビリティである。強制捜査に対する検察側の考え方をもっと明確に、かつ、詳細に発表すべきではないかと思うのである。それがないため、マスコミのあいまいな事実記載とエモーショナルな表現で、何が何かわからないまま、悪いことをしたという印象だけ先走りしている。

だよね。

東京地検の伊藤鉄男次席検事は、「証券取引の公正を害する重大な法律違反があることが証拠上明らかになった。ライブドアグループの存立の中心のところで違反をしている。全容解明に全力を尽くす」と話している。<

これでは、何が問題なのか、説明になっていない。全容解明に全力を尽くしている間に、ライブドアグループは崩壊可能性もあるのであるから、説明責任をもっと果たすべきではないか。

うんうん

この件では、関連して自殺者もでたようである。いつも思うのだが、日本では何か大きな事件が起こると、誰かが自殺をして犠牲になる。アメリカでも、この自殺のニュースは流されており、そこまでの事件なのか?と、質問を受ける。私自身は、こういう自殺者が後を絶たない一つの理由に、日本では、捜査機関の取調べに弁護士の立会いが認められていないこともあるのではないか、と思ってしまう。

朝から晩まで、検察や警察で、自分ひとりだけで取調べを受けて、自白を迫られる。今まで普通の生活を送ってきた人にはかなりの精神的な重圧であり、そのことを思うだけで、もう投げ出してしまおうと思う部分もあるのではないか。例えば、隣に弁護士がいて、言いたくないことは言わずともよいとされ、その助言を受けながら取り調べを続けるなら、まだやっていけるだろう。自殺せずとも、はっきりさせていこうという気持ちも出てくるかもしれない。

アメリカでは、日本では取り調べにおいて弁護士の立会権が認められていない、ということを言うと、信じられないという表情をされて、いつも情けない思いをする。「日本の憲法は、アメリカの憲法を基につくられているのになぜ? そうか、ミランダ判決は、戦後の最高裁判例だから、戦後すぐにはなかったのか、、」といったレベルで、日本人は自分でdevelopできないかのような印象すら与えてしまう。

弁護士の取り調べ立会いを認めるミランダルールは、アメリカの刑事手続における基本中の基本で、これが守られていなければ、どんな凶悪犯でも手続き違反で無罪である。日本では、全く認められていない。強大な権限をもつ検察に対し、被疑者側にとっては、それを防ぐ、なんの防御の手段もなく、取調べに対する弁護士の同席も認められていない。この国では、捜査機関に目をつけられれば、もうお終いなのであろうか。
47thさんも、同じく今回の逮捕に対して暗澹たる気持ちを書かれている。ビジネス分野で仕事をする弁護士にとって、インパクトのある出来事であることは確かだ。

民主主義というのは、意見の多様性を許し、権力のチェック&バランスのなかでこそ、生き延びていくものである。ライブドア問題をみていて感じる気持ち悪さは、これを許さない、日本という国への違和感なのかもしれない。

なるほど。

やはりマネーゲームはダメだ、額に汗して働かないといけない、というのはそうなんだろう。でも、そう言っている間に、すでに海外のファンドはライブドアの価値を値踏みし、上場廃止をにらんで買収に動きだしている。以前のエントリーで書いたプライベート・エクイティ・ファンドだろう。そして、経営陣を入れ替えて、価値を高め、何年か後に新たに再上場を目指す。そして、再上場して高値がついたときは、今値がつかないくらいに下がっている株価の差額分は、利益としてごっそりそのファンドが持っていくという筋書きだ。勤勉のメンタリティを確認するのは、いいことだ。だけど、世界のパワーゲームの中に、否応なく組み込まれているのも現実だ。政治家まで、ここぞとばかりそんなことを言っているようでは、先が思いやられる。。

で、日本終了。
世界に日本は二流国家であることを露にした。
今日本は世界のルールに合わせていくのか、背を向けて内に籠ろうとしているのかが問われている。
かも。