古い映画を持ち出して来ても余り意味は無い

そんなものを今見ても概ね退屈で何が面白いか今ひとつになってしまう。そんなものを楽しめるのはその当時の事を知っている古い人間だけ。古典的サロンで盛り上がる昔話だ。
それは記録として意味を持つ。誰も当時の事を知らなくなれば本当の意味も消えてしまう。全く違う観点から評価されるという事もあるけれど、そんなものは作者にとっちゃ、カエルにしょんべんさ。結局、今で勝負しなくちゃならん。今の状況、これまでの経緯。ファッションも映画も音楽も企業も人も今とどう対峙するかでもがいている。それをくだらねぇとするも面白ぇとするもまたよし、ということなの。今をどう突き破る。それができたものが社会を変えたり、歴史に残ったり、人々の記憶に残ったりする。