科学も最終的には信じるしかない、という事では

サイコロを振って1が出る確率は1/6。これは実験をやって結果を集積すれば1/6の近似値が出る。回数を重ねれば1/6に近づくように見える。よって1/6になるだろうと予想する事が可能になる。
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これは単純な場合。もっと複雑で1億回に1回位で現れる現象があったとする。でも確信が持てず実験の途中で2億回に1回の頻度があった。このテストを含めなければほぼ1億回に1回の法則が当てはまるというのに、何てこった! 悪魔の誘惑が忍び込むチャンスです。今回のケースはエラーがあったに違いない。実験環境に予期せぬ要因が忍び込んだに違いない。その思いは確信に変わる。その実験データ破棄して1億回に1回という方程式をこしらえて論文を発表する。
それは学会に認められ一躍脚光を浴びる。もう言い出せない、テスト結果を一部破棄したなんて。信じるしかない1億回に1回が正しいんだと。
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この場合ももっと実験を重ねれば自ずと答えは出るはずです。今までは実験回数に限りがありましたがコンピュータのシミュレーションの発達は実験回数を飛躍的に増やす事を可能にした。でも何回実験すればいいんだろう。
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一方でこの世界では未来が分からないという事象がある。過去は知られている。過去から未来を予想しようとするが複雑すぎて分からない。過去の結果と未来の結果は全く同じなのだろうか。ここが証明できないと実験結果は役に立たない。だから通常はここを無視する。これは環境が変わったとかそういう話ではなくて。過去に振ったサイコロの確率とこれから振るサイコロの確率はホントに同じなのかということ。過去の1/6の確率はこれから振るサイコロの1が出る確率1/6を保証するのか。
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でもそれを信じないと何も信じられなくなってしまいます。今ある固い地面も次の一歩でズブズブと埋まってしまうと思ったら一歩も歩けません。でもそういう事はあるけど落とし穴とか。
もう無理ここまでしか考えられない。
せっかく書いたんだからUPUP。