みんなでポールさんのようになろう!だなんて

「ポールさんのようになる」という命題について(箇条書きバージョン1) - 煙
「震災時になにかあったとき、私たちはポールさんになれるか」
みんながポールさんになったらポールさんになれないよ。みんながポールさんになったら虐殺は起きないんだから。こういうのを屁理屈って言うらしい。みんなと違う行動を取るのが成功する秘訣というのはここでも有効か。ここで問われている事はある意味変人に成れるかということである。みんなが熱狂に取り付かれてしまった時、冷静に行動できるか。100人の中で99人がYESと言う時一人でNOと言えるか。言うというよりNOという行動を取れるというのが近いか。
 悲劇の中の美談を語る事は悪い事ではない。美しい行為は語り継がれるべきだだろう。しかしそれは悲劇をそのものを無くす力とはなり得ない。シンドラーのリスト杉原千畝の命のビザも大地震で生き埋めになって奇跡的に助けられた子供も感動的な話だろう。でもそれは問題の些細に過ぎず小さなエピソードに過ぎず、問題の解決の焦点には関係のない事だ。そこに焦点をあてても何ら問題は解決しないばかりか本当の問題点から目をそらす事にしかならない。ある意味虐殺なんか防げないという諦めを出発点にしなければならないだろう。そう考えなければアウシュビッツでネバーアゲインを誓ったのにルワンダの虐殺が起き、それを忘れる間もなくダルフールのような事が起こるわけがない。そういうことは起こりえるのだから人類はそういう状態に備えて何らかのシステムを考えなければならない。と考えるのがロジスティック的である。みんなでポールさんのようになろう!だなんて。何て甘っちょろい甘甘お菓子よ。そう人達はお菓子の国に行ってください。
追記:タイトル変えました。
修正:2006.3.11