前にライブドア問題が忠臣蔵問題に似ていると書いたのは

時代の変化によって良き事とされたものが犯罪になってしまったり、今までは犯罪だったものが不問になったりする部分です。
忠臣蔵の場合
お上に尽くす事が家臣として最上の行為であり、上の者の仇を家臣が討つ事は推奨される行為である。
そういった文脈で忠臣蔵の敵討ちは為されたのですが時は既に平安の世、武士の忠義も廃れ、世の武士の堕落を嘆く世になっていました。そんな時に武士の鏡のような働きをした赤穂浪士達を無下に処罰する事なんかできません。結局切腹になったものの幕府は非常に苦しい判断を迫られたという事になっています。
ライブドアの場合
規制改革で様々な規制が撤廃され、自由競争が良しとされる時代背景。
そういった中で時代の申し子として規制緩和を最大限利用して成功していったのがライブドアだった訳ですが、あれはルール違反だろう、どうしてあれが堂々と許されるんだという声が高まっていきました。しかし個々の法律では違反はない。どうする検察みたいに追い込まれていた?? しかも市場原理を奨励していたのは国の方針、そんな中ライブドアを告発する事は非常に困難な行動を迫られた。これからの裁判でどういう判断が示されるか非常に興味があります。
ライブドア事件に学ぶネット企業の本質 - CNET Japan