話には終わりがある

ドラマにも最終回がある。映画もエンドがある。文章にもまとめがある。でもなぜ。ドラマも映画も時間的制約があってどこかで終わりにしなけりゃならん。しかしいきなりブツ切れたりしないのだ。それは物語というのはそういうものだというお約束があるからに他ならない。それは最初から見せたいものがあってそれがハッキリ浮き上がるように見せる為の仕掛けなのだ。そういう意味では物語っていやらしいものだ。それに連なるドラマも映画もみんないやらしすぎる。みんなヤラセなのだ。最近のテレビだけがヤラセの常習犯じゃない。人類歴史の始まりから神話が作られたときからヤラセ疑惑にまみれていたのだった。そうしないと視聴率取れませんから、も、そうしないと語り継がれませんからも同じ理由。こうして現代人だけが堕落したわけではないと安心したところでもういいかげんそういう物語性から脱却しようぜというのがこの話の筋なのだが話の主旨から言ってこの話はいきなり終わる。