思い至り

「グーグルをどう語るか」を巡って - My Life Between Silicon Valley and Japan

普通の会社なら、生身の人間の痛みみたいなものを、生身の人間が相手して、何とか個別処理をしようと考えるが、グーグルは個別処理を嫌う

これを読んで
kom’s log - 長所だけど短所

そこで小さな工夫をすることでなんとか問題をやりすごすことになる。”賢い踏み切り”がまさにそうした対応である。すごい、と思うのはそれがおそらく機能することである。日本の凄さはこうした小さな工夫を重ねることで本質的な解決の先延ばしを可能にすることであり、これはヨーロッパにしろ、米国にしろ、アリエナイ。能力ないしはそうした発想が存在しないのだ。だとしたら欧米ではどうするのか。大掛かりに本質的解決をするのである。時間がかかって、周りの人間は大いに迷惑する。しかしそれ以外に手段を持たないので、我慢するしかないのである。

これに思い至る。
で、グーグルの解決方法というのは立体交差を作る事だろう。で、日本だったらそれが出来るまでは人海戦術で何とか穏便に済ませたり、多大なリソースをあてがったりする。しかしグーグルは今はまだそれが出来ないから根本的解決の方にリソースをつぎ込む。で、ユーザーはどちらが良いというと当たり障りは日本的対応の方が気分がいいが、システムが完成してしまえばグーグルの方が便利なのであっさりグーグルに移ってしまうみたいなものか。だからその場限りのマイクロ工夫能力は日本の企業の競争力を削ぐ事になっていると。マイクロ工夫能力といえばソニーが真っ先に思い浮かぶ代表企業であるがそういう企業が競争力を無くしつつあるというのはマイクロ工夫能力の限界を見るようだ。