真相は薮の中

という時ある一つの真相があるという前提がある。確かに誰かがウソを言って事実は違うという事もあるだろう。けれど誰もが自分では本当の事を言っているのにそこに描かれる情景はそれぞれ違うという事がある。立場や視点が違えばそれぞれ解釈が違って別な面が見える。そういう場合も真相は薮の中である。というかそういう意味で本来は使うのだろう。裁判というのは真相を争う場合とどう落着させるかという場合がある。その場合は社会がどういう視点を選択するかという事なのだろう。