本当のオイディプス

全てを知ったオイディプスは茫然自失に何も考えられなくなった。自分は知らないとはいえ、父を殺し母と交わってしまった。一体どうしてこういうことになるのだ。これが神に定められた己の運命なのか。何ゆえにこのような苦しみを受けねばならぬのか。発狂するほどの苦しみの中で何日も彷徨い続け、やがて自分の体を疲労困憊させその状況を受け入れ始めると怒りが湧いてくるようになった。自分が一体何をしたというのだ。神の掟に背いたというのだろうか、否。確かに何人かの人間を殺してしまったがそれは父と知っての事ではない。確かに母と交わってしまったがそれを母と知っての事ではない。これは事故のようなものではないか。ゆえに私の罪は免罪されるのではないのか。神が許さなくても私が許す。どうしてこんな事で私が滅びなければならんのだ。私は何も悪くはないだろう。こうしてオイディプスは妻であり母でもあるイオカステと離婚し新しくエウリュガネイアを迎えて二男二女をもうけて幸せに暮らしたのであった。
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悲劇作家というのはより悲劇を作り出すためにどんどん話を過酷なものにしていくものなのね。まぁ芸術というのはそういうものかも。悲しい話はより悲しく、美しい話はより美しく、面白い話はより面白く脚色されていくと。この世に残っている感動話も実は本当は何々だったというのは結構ごろごろしていそうである。
そうやって考えてみるとテレビのヤラセというのも同様の理由でなされるものと考えるべきなのか。