「シュレーディンガーの猫」は存在するか

シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

哲学との関係
シュレーディンガーの猫」という思考実験は、「ミクロの世界の理論をマクロの世界に結びつけることができるか」という点に核心がある。

「できる」というのが、コペンハーゲン派の解釈およびエヴェレット解釈の前提だが、哲学ではこの前提が問題視される。もし「できない」のだとしたら、マクロ的な世界における猫の生死の確率そのものが無意味であるから、問題そのものが最初から存在しなかったことになる。

ミクロの世界では日常の世界とは違った振る舞いをする事が認められているのだから、ミクロの世界の理論をマクロの世界に結びつけることはできないで良いと思うのだが。宇宙やミクロの世界を日常にある物体でモデリングする事がそもそも無理なのではあるまいか。どんな不思議な振る舞いをする現象もそういう性質を持つで終わりにしてしまうとわざわざ複雑な説明をする必要がなくなる。それでは応用的に利用する事はできなくなるが。
というわけで「シュレーディンガーの猫」は全く無駄な思考実験だった可能性もある。