若者から見捨てていくのは今に始まった事じゃない

太平洋戦争中も特攻などで多くの若者の命が散りました。しかし特攻等という別段体力も必要ないものに未来ある若者を採用する必要も無かったのである。どうせ捨て石なのだからご老人達が搭乗して命を散らせば良かったのである。戦艦大和にも沈められる事が分かっていてどうしても出港しなければならなかったなら全国から老人を募集すれば良かったのである。


なぜ、それができなかったのか? 権力構造上部にいる人間、この世に永くいて関係性を築いた人間は犠牲にされないという事だろう。若者の就職難やフリーターなどの受難が語られる現在もそれは今に始まった事ではない。社会はいつだって若者に犠牲を求め年寄りは温存されて来た。一番社会に関係性が乏しい若者から見捨てられていったのです。これまでもこれからも。これはいつの時代もあった事だから若者は不満を持ってはいけない。国や社会が困窮に陥った時、優先的に若者が犠牲になるという普遍性。


敗戦時に米軍が子供達を優先的に配給を進めようとしたら、日本はまず大人から優先して配給してくれという話もどっかで見たな。飢饉に陥った時まず子供を犠牲にするというのはまた子供は作れるからまず大人が生き残る事を選択するという事はある。書いてて暗い気持ちになって来た。


当時は捨て石である事を認める事が出来なかったのだから老人採用という選択肢も取れなかったと言えるか。