結局は○○らしくというのから逃れられない

学校は学校らしく、会社は会社らしく、障害者施設は障害者施設らしくと全ての存在はそのらしさから逃れられない。先生は先生らしく、会社員は会社員らしく、お坊さんはお坊さんらしく。お坊さんとホームレスを間違えてしまう社会というのもいろいろ困難を伴うと思うので何々らしいというのはそれなりに重要なのでしょう。警察官と泥棒の区別のつかない社会は成立が困難だろう。というわけでみんな不自由ならしさが求められる事になる。ストリートミュージシャンだってらしさが求められるんだよ、どこに自由があるんだ。
それはそういうものとして社会の一カテゴリに押し込められる。ここはこういう場。これがあなたの持ち場。ここでこうする事があなたに期待される事。しかしその中でする事は直ぐに限界に当たってしまう。現状からの飛躍はこのカテゴリを流動化させるしかない。今までにない形、ない形態。しかしそういうものは認められない。今まで無かったという理由で。