確かに死は隠蔽されているが

昔なら鶏の首をひねってつぶすのも日常行為にあったでしょう。しかし屠殺なんかは早くから専門家集団に任せられその事が牛肉偽装などで露になったりしました。都市の住人は結構早くから生き物の生死から隔離されていたかもしれない。タヒチが今現在どのようか知らないけど身の回りの動物を日常的に潰して食っているとすれば生死感もそれなりに変化するだろう。郷に入ってその感覚が身にしみたとして自分は納得するだろう。その中で日本の死を隠蔽する社会に一石を投じたいという気の表れだったのかも。その試みは成功したと言ってもいいのだろう。これだけ反響を呼んだのだから。確かに動物に人間と同じような人格を与えるのは間違っている。ナカちゃんなどのアシカ騒動も異常と言えるだろう。もちろん無駄な殺生はするべきでないが行き過ぎた動物過保護は慎むべきだろう。