猫問題から何となく死が気になって

キューブラー・ロスの本、『「死ぬ瞬間」と死後の生』を手に取った。様々な角度から見られる彼女だが死の見方を変えさせたのは事実。彼女がこれまでの自分の成果を否定したと伝えられた事もいかにもありそうな事でそれも良かったかもしれない。考え方に絶対はないし。科学が絶対に無いというのは自己矛盾だ。
現代人の不幸は死んだら何も無いということ。人類は誕生して直ぐ死後の世界を思い浮かべて来ただろう。宗教でも死後の世界を否定したものは希有のような気がする。そういう100万年来信じて来た事をここ100年の人間だけが信じる事が許されなくなった不幸である。神は死んで死後の世界も否定された。神は要らないけど死後の世界は欲しいという我が侭は許されないのである。


で、この本で一番残ったエピソードは。彼女が子供のとき3匹のウサギを世話していてとってもかわいがっていた話。しかし父の命令でそのウサギは夕食の御馳走になる運命。それを彼女は自分で処分されるウサギを選んで肉屋に持っていき、まだ暖かいおろされた肉を家に持って帰って家族がそれを食べるのを見ていた事。そういう事が半年毎に3度も続いて。しかし彼女は両親へのちょっとした意地から(三つ子で両親の膝はいつも妹達に占領されていて座る事ができなかった)自分の悲しみを両親に伝えなかった。彼女は自分の悲しみに蓋をしてしまって悲しい態度を一切両親に見せなかったのである。この蓋をされた悲しみはそういう事象、人を避ける、憎しむという事でずっと彼女の心の隅に巣食っていた。彼女がこの蓋をされた悲しみに気付き大いに号泣したのは40〜50年後の事である。こうして彼女は理不尽にある性向をもつ人物を激しく避け憎しむ事を完了させることができたそうである。


何だか書いてたら鏡の法則を思い出したよ。心の蓋をされた悲しみ憎しみを広げて大いに泣いてみれば浄化されるって。それで全て解決するとした所が鏡の法則の罠。解決するのは心の問題や人生に対する態度ですがそれによって少しづつ解決に向かう現実はあるでしょうが、いきなり解決なんかしない。それを極端に見せた物語と言えるけどえげつないよな。品性が問われるって奴か。
なんか脱線しちゃって全然纏まってないけど、人生に残された課題に取り組むという視点で新たな観点を与えてくれるような気がした。