何をニュースに選ぶか

よく日本の新聞は外国情勢に疎いと言われる。外国で起こった事件も日本人が巻き込まれたどうかが視点の中心になる。その事で報道に批判する向きもあるが、報道は商業活動として成り立っており読まれないものは報道されなくても仕方がない。現在のインテリ志向はダルフールに言及する事が明晰の証のように扱われている象徴のようになっていてダルフールに言及するオレは知的であるという構図。それ以外でも日本では受けない複雑な国際情勢に精通することが知的活動の証なのだ。
結局日本の報道活動の偏向は読者の偏向であり日本人の偏向である。それはやはり長年の陸続きでない国境の安心感からくる性向なのだ。隣の国で政変が起こっても取りあえず関係ない。これが陸続きの欧州だったら攻めるか守るかの決断に直ぐに迫られる。そういった永年の蓄積がない。だから報道の視点は直接的な日本の関係に結びつかないニュースは受けない読まれない取り上げられないというサイクルで続いて来たということだ。そこに陰謀とか隠蔽とか何にもなくて何も考えてない金の流れがそこにあるだけというシンプルな世界があるだけ。そんな単純な世界は面白くないといって評判は宜しくないのだ。などと考える今日この頃。