新しい才能は同時代には認識されない

ということはありそう。例えばカフカのように当時の人にはごく周りの一部の人しか認められていなかったわけでそういう人が現在も存在している可能性はもの凄く高い。今は当時より公表する手段があるようにも見えるがどうだろう。誰でも作品が発表できるがより多くの人の中で埋もれる可能性も高い。公募も史上最高の作品数が集まるとも聞く。ではカフカが生きた時代にネットがあったら何て考えるのもネットがあったらあのような時代状況にならなかったしカフカもあのような作品を生まなかっただろうから、カフカは存在しなかったかもしれない。偶然と必然の中で何が必然の作用をしたか。何が偶然の作用なのか。
 進化というのは大いなる実験場で人の千差万別も絶えず違いを出して来て世の中に評価を問うているような気がしないでもない。それは決してそのままの君で良いという楽天的なものではないけど多くの失敗の中から成功を得るという戦略は進化の常套手段である。それをどれだけ幅広く世の中が受け入れるかという問題もあるけれど人とは違うという事はもっと注目してもいいのかもしれない。自分はなぜこうなんだろう。人と同じように感じない私は異常なのか。進化の試行錯誤の一形態なのか。そして失敗作品として子孫を残さない運命にあるのか。それは時代に合わなかっただけなのか。単なる逃げなのか。