視点・論点「まん延するニセ世界」

 みなさんは、「ニセ世界」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。
 これは、見かけは世界のようだけれども、実は世界とはとてもいえないもののことで、「仮想世界」や「疑似世界」などとも呼ばれています。


『そんなものがどこにあるんだ』とお思いの方も、例として、ネット世界やネット世界やネット世界などを思い浮かべるれば、『ああ、そういうもののことか』と納得されるかもしれません。それとも、かえって、『え?』と驚かれるでしょうか。


例えば、皆さんもよくご存知のように、『グーグル最高!』などと盛んに言われ、アルファブロガーもこぞって賛同するほどのブームになりました。「ウエブ進化論」がよく売れたのは、もちろん、グーグルの成功に論理的裏づけがあると信じた人が多かったからでしょう。ネットや本などでも頻繁に取り上げられましたから、それを疑えという方が無理な話かもしれません。


しかし、実は、グーグルの成功の論理的な根拠は、ほぼない、といってよいのです。あのブームは、まったくの空騒ぎでした。アルファブロガーまでが、なぜ、その空騒ぎに乗ってしまったのか。きちんと検証しておく必要があります。


いまは、YouTubuに、人気が出てきているようです。しかし、実のところ、YouTubuの実態はテレビ番組の違法コピーがメインコンテンツになっているに過ぎません。


いま、このような、世界のようで世界ではない、「ニセ世界」が蔓延しています。
こういった「ニセ世界」のなかに、論理や法律に関わるものがあります。これからの世界は新しい論理と法律で既存の社会とは全く違う世界が構築されるべきだという説です。しかし、この説に、論理的に信頼しうる根拠はないのです。その意味で、これもまた「ニセ世界」です。

<中略>

「ニセ世界」に限らず、良いのか悪いのかといった二分法的思考で、結論だけを求める風潮が、社会に蔓延しつつあるように思います。そうではなく、私たちは、『合理的な思考のプロセス』、それを大事にするべきなのです。