いつを持って終焉とするか

ローマ人の物語」が終わった。ローマといえばいつを持ってローマは終わったのかという議論もある。早い人は帝政時代になった時からローマの低落は始まったのだとか、末期的時代の何百年を形だけのローマと評する人もいるし、西ローマ帝国の消滅を持って終了とする人もいるし、神聖ローマ帝国コンスタンティノープルの陥落まで延ばす人もいる。
 これを様々な事例に当てはめる事ができ、ベネチアはいつ終わったのか。室町幕府はいつ終わったのか。アメリカはいつ終わったのか。日本はいつ終わったのか。人類はいつ終わったのかと。だいたい絶頂期と終焉はそれほど遠いものではない。いや殆ど同時に現れる事だってある。人間が有史以来の最大人口に達しているからその終焉を危ぶむ声も聞かれるのである。アメリカも過去最高を成功を手にして一大超国家として君臨するから危機意識を持っている。日本はそこまでの危機意識を持っているか不明だがバブルの崩壊とともに二度と浮上できずに人口減の中このまま縮退を続ける未来感も現実感を伴ってきた。やっぱりJapan as No.1等と持ち上げられた頃が日本の絶頂期でこのまま衰退するというのも乙なものかもしれない。物事には終わりがある。これは誰にも逃れられない事実です。諸行無常です。
 この終焉をできるだけ回避しよう、盛り返そうとしたのが銀河帝国興亡史の心理歴史学でありハリ・セルダンである。こうした終焉は人類の英知で持って克服できるとした楽観論であるが現実は悲観論の方が優勢か。結局はそんな遠い将来を見通す事なんかできないしその時限りの現実的対処で危機を乗り越えて運が良ければ生き残れるというのが実際の人類の実態でもある。終わりを認めないのは見苦しいとかあきらめが悪いといった悪いイメージがあって潔く諦めるのを良しとする東洋では西洋人はダメだなといった見方もあるがそう言い切れるものでもないだろう。