掟の門の解釈など

よく言われているのは男はなぜ掟の門に入らなかったのだろうというものだ。何回も通っているうちに門番と身の上話をするようになったりして門番は言葉ではいけないとか中にもっと怖い奴らが控えていると言いながらも体を張って止めようという気配はなかった。だから男の方に入りたい気持ちと入りたくない気持ちの逡巡があったに違いないという解釈が出てくる。挙句の果てに男が死の間際まで入りたいという欲望を保ちながら門番にあれはお前だけの門だった、だから誰もやって来なかったなどと言われてしまう。では門番はなぜ今はダメだなどと言ったのか。つまり男が乗り越えなければならない試練というわけだ。ダメと言われてもそれを振り切って行く決意を試された?迷いがあるうちは入らせない役目。
 そういう風に考える事も可能だ。でもそれは本当だろうか。男にとって掟の門に入ることが本当に幸せだったのか。もしかしたら門に入ったら男は死んでいたかもしれない。なら入らずに寿命を全うしたのは幸せだったのか。いやいや、ただ生きていたって望みが叶えられなかった人生なんてましてや自分の迷いでやらなかった行動から後悔だけが残るならやってみたほうが良かったのではないか。でもそう考える事自体どっちにしても後悔する人間なのでは。つまり入ったら入ったであの時入らなければこんな目に合わなかったと思うかもしれない。なら今の境遇も入らなかった事を後悔する事に何の意味があるのか。自分を全肯定する事が正しい行動ではないのか。どっちにしても過ぎた事。それが気持ちいい死に方という事。それは死ぬ時に思う事。まだ生きていく人間にはまた別な事。