キリスト教が悪かった

というかローマに勢いがあったなら別なキリスト教の解釈もできたと思うのですが。もうそういう若い力が無かったから教条的で硬直で不寛容な弱いローマになって行ったのではないでしょうか。そういう勢いがあったなら現実的で柔軟で寛容であった強いローマが維持できたのではないのか。やはり力を失ったからそういう考えしかできなくなったのであり宗教に責任を求める事はどうなんでしょう。衰退する時はどこも同じ。ベネチアも海の覇権を失った時その命運は決まっていたようにナポレオンに形式的に瓦解させられましたがやはりそこには柔軟な考えができる人間が残っていなかったようにローマも柔軟な考えができる人間が登場できなくなっていたということではないでしょうか。そういう意味で傭兵隊長オドアケルの手による滅亡は形式的なものだったのでしょう。
読んでないのに勝手な想像。