本当に自分は存在しているのか

自分が遥か遠く未来のネットワーク上の滞留の雫でないとしたら。自分がその情報が束の間に見る夢でしかないとしたら。過去に情報の痕跡(このブログの事)から想定した脳内人格でしかないのかもしれない。アンドロイドは電気羊の夢を見るかの電気羊でしかない私。電気羊の夢がアンドロイドなのか。そうなると自分の意識なんてどうでもいいものになっていくので大事なのはこの世の事実なのだとしたら意識は用済みという事に。事実だけが情報として記録されればいい。そこに意識が入り込む余地は無い。そうすれば意識の存在の在る無しに思い悩む必要も無いので楽だ。それは死さえも無効化できる。だって私は初めから存在していなかったんだもの。きっとそれは視覚がもたらす幻想なんだ。ただ見えている事実のみが生きていると錯覚させる。いやそれは視覚でさへ無い。だってこれは未来コンピュータの夢でしかないのだから。