公平感の問題

ライブドアが有罪で日興が無罪というのはどう見てもおかしいというのが昨今のトピックである。こういう不公平感というのは何時の時代でも生じるものなのだろう。特に時代が変化した時には。例えば忠臣蔵。時代は戦の時代から平和と安定の幕藩体制で天下泰平の世に。そんな時代で武士の存在理由やあり方が求められた時に起きた事件。喧嘩両成敗がデフォなのに片や切腹、片やお咎め無しの不公平感。しかし場所が江戸城内の松の廊下で事に及んだという事で現代なら国会議事堂内で日頃の鬱憤を晴らす為に襲い掛かったようなもので、伝統と格式を重んじる封建社会ではかなり不利な様相もあったかもしれない。
 とにかく同じ武士という地位の中で同じ基準で裁かれない、そこにどういう意思決定があったのか、ダブルスタンダードではないのかという想いが後の討ち入りを起こさせた動機である。ライブドア問題でもこの不公平感が解消されなければ後々どういう影響を及ぼすか予想は困難だろう。