昔は人が死ぬのは今よりもっと日常茶飯事だった

子供の多くが生き延びられず成人まで達するのも大変だった時代。成人式なんてその頃の名残りみたいでよく生き延びた事の祝いなのに誰でも生き延びられる時代にも続けるから何がめでたいか分らずにおかしな事になってしまう。現代では七五三も成人式も本来の意味を失って言う事が無いから精神面の話なんてする。武士道なんて出来たのも平和の世に武士なんて必要ないじゃんという世の中の気風を感じて武士達が奉り上げたもの。抵抗勢力、既得権者の言い訳のように生まれたと言う事も可能。取り敢えず戦っている間はそんな事考えている余裕は無かったわけで平和だから出来た事は確かだ。話がそれた。
 で多くの人が死ぬ時はいちいち悲しんでいられないし自分だっていつ死ぬか分らないのだから死生観だって今とはずいぶん違う。死はありふれたもの。そういえばビルマかどっかでは死者を忘れる事が死者の一番の餞とか。忘れる事によって死者は冥土に旅立てる。覚えているうちはまだその辺を漂っているという考え方だ。だからいつまでも覚えているのは余程の極悪非道の犯罪者くらいでそういう人は皆に覚えられているからいつまでも冥土には行けない。しかしそういう人でも何時かは忘れ去られる。全ては忘れ去られる。忘れ去られる事だけが救いだから。全てを忘れてしまえば怖れるものは無いだろう。しかし無理に忘れようとしても無理。時間が自然と忘れさせてくれる。それが天の恵だな。自然に生きる事の大切さ。