純真すぎるパズー

天空の城ラピュタがまた放映されて感想がいくつか。その中でシータが純真すぎるあそこはラピュタ女王に君臨してラピュタの科学技術を継承するべきだったとい話が出ていたが。まったくいつの話だ。どうしてこうステレオタイプな話になっているのか。これも保守回帰の中での流れなのか。映画上映という制約。観客層という制約。色々な新しそうなアイデアはあってもそのストーリーはずっと古典的だ。逆説も真なりでそういう見方も感じさせる事もできるが確かに現代の映画としては主人公は純真すぎないかというのはある。そんなガキは今時何処探したっていねぇだろう。映画だから理想を描いた。86年というともう20年以上前だから現在と状況もかなり違うが。でもまぁよく出来ているよ。人間の奥底にはこういう正統な物語を求めてる飢えがありそう。そこを突けば何度でも楽しめるみたいな。メロドラマは何度見ても泣けるように。本能から逃れられない本源的なもの。