日本の近代小説は夏目漱石が殆どやり尽くしてしまった

とどっかに書いてあった。そうなのか。私は単純なのでそのまま鵜呑みにして以下の妄想を広げる。確かにこの世は先行者有利の原則は覆せないものかもしれない。近代日本の夜明けで彼の前には小説のネタが手つかずの状態で広がっていたのだからおいしいとこ取りしたのは言うまでもない。大きな金脈の殆どを根こそぎ攫っていってしまったのだろう。後から来た芥川龍之介を始めその他の人たちは残りの金脈を求めて右往左往しなければならなかったのかもしれない。そして現代である。いきなり現代である。もう今じゃ全ての金脈は掘り尽くされ同じテーマを色を変え品を変え繰り返すばかりである。またはごく僅かの隙間産業的努力でまだ誰も手に付けていない狭い峡谷に分け入るのである。お笑いでも本流はとっくに持っていかれているのだから最近の隙間産業的笑いも当たり前だ。ハードゲイやだいだひかるやムーディー勝山など涙ぐましい努力が続いている。でこの傾向は社会全体に押し広げられるもので現代は隙間産業的世界観が広がっていると言える。産業の王者は自動車のトヨタだし一流企業が本流の所は押さえているのだから残ったものたちはその隙間を探さなくてはならない。隙間を見つければパイは大きくないけれど一個の小企業が活動するくらいの利益は出る。そんな終末感に突然現れたのがネットだったのだから人々は狂喜乱舞してネットバブルになるのも当然だった。そして気が付けばおいしい所はGoogleに持っていかれてしまっていたのだった。