なんでリアリティを感じられないのか

それは全てを他者に委ねてしまっているからではないのか。全ての物は私の知らない工場で作られたりしたものばかりだ。それがどういう流通経路で手元まで来たのかも知らず自分が住んでいる所も誰か作っている人を知るわけでもない。もちろん昔だってそういう事はあったろうが今はそういう身元不明の物が余りにも増え過ぎてそれが当たり前になってしまった世界に住んでいる。私達はこれは誰々が作ったものというのをどれだけ持っているだろうか。どこか知らない人が知らない所で作ったもの。それがサービスとしてきちんとした製品となって目の前にいきなり現れてくる。それが当然として難なく受け入れている現実。そこには何の痕跡も無く苦楽も読み取れずただ然としてある。それが工業化社会だろう。テクノロジーがリアリティを遠ざけているともいえる。この材質はどうやって作るのだろう、どうやってできるのだろう。それは普段の生活からかけ離れた想像力がなければ想像もできないものだろう。昔のように見て分かるというものでもない。そりゃどっかの工場で作ったというのは分かるだろうが具体的なイメージは不可能だろう。私達が普段伺い知らない行程を経て出来上がってくる製品たち。その中で自分の役割を想定するのは多くの場合困難である。こうやって自分は社会の中で宙ぶらりんになってしまう。