「江戸の妖怪事件簿」について

花火の後はお化けだよ。夏はやっぱりお化けの話。

江戸の妖怪事件簿

江戸の妖怪事件簿
自然科学が入ってくる前の江戸時代、人々は化け物をどう捉えていたか、というのが命題の本か。まず著者はその頃の変異についての圧倒的リアリティに対して羨望の眼差しのようなものを向ける。それは失われたノスタルジーのようでもあるし、現在という安心できる地点からの視点のような気もする。何せ当時は何の科学的根拠による後ろ盾もなく人々は本当に怖い思いをしていただろう。誰も明確な否定はできないという事がどういう事か。自然科学が蔓延している現代からは想像できない事なのかもしれない。それ位現在の私たちは骨の髄まで科学に染まっているのだろう。まったく自然科学を抜きに二本足で立っていられるかどうかも怪しいのかもしれない。
 もちろん当時にもそういう変異を化け物の仕業というのを否定する立場はあった。一番は治安維持を司る幕府である。そうは言っても建前では否定しても個々の人々はたいてい妖怪の存在を無碍に否定できなかったろう。そう言えば最近アニメでも「天保異聞 妖奇士 あやかしあやし」というのをやっていたがこれは天保年間の「藤岡屋日記」からインスピレーションを得たのではないのか。そしてこの本もこの「藤岡屋日記」から多くのエピソードを得ている。そしてこの中でいくつかの妖怪の話が採り上げられているのだがそのいずれも背景や状況があるという事がわかる。
 そして幕府の基本はその時の学問の朱子学儒教を通しても妖怪を否定する側にあり民間の悪魔祓いや新興宗教を取り締まるのだが民衆の要望は強く抗しきれなかった様子が伺われる。こうした変異も時代状況と密接に働いていた事が分かるのである。もちろん当時は科学という便利な後ろ盾がなかった分その説明も創意工夫が求められ創造力が要求されたわけだが一番安易なのは狐と狸のせいにすることであった。それだけ身近な生き物ながら犬猫のようにペットには成り下がらなかった動物だったか。今の時代状況からも透けてくるものが垣間見える参考になる書だと思います。