あれは三年前

♪あれは三年前、〜動きはじめた汽車に〜ひとり飛び乗った〜
ここじゃなかったけど、三年くらい前に珍しく自分のエントリーにトラバがついた事があった。その時は話題のトピックの乗っかりエントリーだったのでそれで偶々目に入ったのだろう位しか思わなかった。かなり分析的に自分の記事が取り上げられたのだが今イチ真意が分からず自分の中で何かが引っかかったまま今日まで頭の片隅に残っていたというわけです。
で、その時のキーワードは現代科学にひれ伏してしまうという事だったと思う。で、どうしてひれ伏してしまうのかという事が俎上に載せられたのだと思う。現代科学の最先端は一般の人間には歯が立たずただただひれ伏すしかない存在になってしまっている。だからその方法論である検証によって事実を積み重ねる方法もまた正しいのであるという事が広く社会に行き渡り、それに適応しないものは間違いであるという事に誰も表立って反論できない構図に落とし込まれてしまっている。でもテレビでは心霊写真や血液型性格判断マイナスイオン等は視聴率を取れるものとして人気が出るのは間違いない。この辺の一つの結果があるある騒動でもあったのだが。
 まぁ誰にも文句がつけられない難解な最先端科学を担保にして俗説や迷信を切るというのはある意味江戸時代に行われた怪しげな民間信仰狐憑き払いをお上が取り締まる構図に似ていなくもない。もちろん当時の科学は儒教朱子学だったらしいがそんな常識のような官学に反発して民学という生きた学問が生まれたのも当然であった。しかしそんな事より民衆は儒教朱子学が与える妖怪なんていないなんてつまらない結論に満足するはずもなく民間信仰狐憑きに走った。それは今の水伝が支持される構図でもあるのだろう。
 で何が言いたかったというと、その三年前の取り上げられたのはこういう事だったのではないかというのが今頃分かったような気がしたのだ。ひれ伏してしまうから逃れられない。科学の名の下に嘘が暴かれていく。それは良い事なのだろう。人々から迷信を取り除き。迷える子羊を正しい道に導く。素晴らしい。クリーンで潔癖な世界だ。しかしそれで人々は幸せになれるのか。そういう事に科学は関知しないと言うだろう。でも人々が血液型性格判断や心霊写真に何を求めているのか。そこに科学的な正しさをばかりを求めているのではない事位分かるだろう。関知しないなら手を出すなとも言える。それを否定するならその後のフォローもしなくてはならない。人間は機械だから死んだら終わり。後は知らねえ、では生きていけないものですよ。という事を今頃思った鈍い奴なのです。あんたってばーか? へへ、それなりに。
追記:
指摘されて改めて読んでみたらそれともまた違いますよね。あんな整理された文章を読んでしまうとまたまたひれ伏すばかりなりになってしまいますよ。あくまで出発点を与えただけでどんどん論が展開されていくのですから。