論理は自然の風景ではないのか

とその前に論理は動物にもあるのではないか
それは肉食獣が集団で狩りをするとき、一方が追い立て一方が待ち構える。これは立派な論理ではないのか。彼らは言葉を持たないが論理は獲得しているのである。ああ出ればこう出る、こう出ればああ出る。こうして肉食獣は数で勝負するより頭脳を鍛えていったような気もします。すると人間の祖先はライオンみたいなものだったのかもしれません。日本人なら虎ですね。
 でこの論理の源泉は何処にあったのか。それが石の配置とか山の配置とか自然の風景に元からあったとするならば外部にある事と何ら矛盾せず思わず飛びついてしまいたくなる予想ですね。論理とは自然の原理なのか。自然の地形は狩りをする上で重要な手がかりです。向こうに川があるならそこには逃げ場はない。山があればそちらも同じ。そうした配置が論理を築き上げてきたのは人間の戦でも同じ。自然条件がいつも思考の源泉だった。