タイムマシンはどうしてできないのか

それはまず時間が存在しないという説が有力である。時間が存在しないから過去にも未来にも行けないのだ。そんな事はないだろう。我々は過去があった事を確実に覚えているし、経験的にも未来が現在になる事を知っている。では我々はその過去とか未来をどうやって計量的に計っているかというと時計である。時計でもって1時間前とか2時間後という事を把握する事ができる。でこの時計は元々太陽の動きから発達したもので時間とは即ち天界の動きに他ならない。朝昼夜で一日を夏至冬至で一年をつかんでいたのだ。ではこの天界の動きが無かったら時間は存在しないのか。惑星が運動しないと生命も誕生しなかったから時間も存在しなかったに等しいと言えるかもしれないがここではそういう見方は置いておく。時間というのは錯覚なのだという考えがあるらしい。物事が変化すると時間が経ったような気がする。星が運行し生命が世代交代する。それをつぶさに観察すれば確かに時間という何かが存在しているようにも見える。しかし実際には変化だけがあって時間という何かがあるわけではない。それは数字のように概念でしかない。変化は非可逆的で割れた皿は戻らない、死んだ生き物は生き返らないという性質を持つ。時間というものを導入してそれを自由に操作できれば変化の非可逆性も忽ち打破する事ができる。しかし時間というものは存在しなければそれは叶わぬ恋ならぬ夢である。
そんな夢の無い事を言って、もしタイムマシンができたら撤回するんでしょう。まぁそういう事もあるかもしれないけど、この世にはできる事とできない事はあるのだがそれを全て予想するというのもまた困難であるとは言える。