敬語が蔓延する社会は余り住み良い社会ではない

敬語は難しくて分かんな〜い、などと言っている中高生も自ら敬語を求めている。それは先輩後輩の関係とか口の利き方分かってないなどという行動からも伺われる。そしていじめの体質もこの敬語が大きく関わっているような気もする。敬語が発達したのはいじめの対象から逃れるという側面もあったはず。あいつは口の利き方を知らないから懲らしめてやろう。これがいじめのはしりの面もあるかもしれない。ほんの些細な口の利き方で感情が沸騰する。まったく生き難い世の中である。そんなに我々は気を使わなくてはならないのか。もう、うんざりだ。敬語なんか無くなっちまえ。どんな奴ともお前とおれでいいじゃないか。そんな事言っているといきなり刺されかねないのが日本である。だから敬語が発達した。無限ループ。昔から湿度が不快指数が高い日本でつい頭にきて殺傷ごとや暴力沙汰は日常茶飯事でその為に切腹になったり都落ちさせられた人は数知れず。それを防ぐための敬語でもあったのか。
 そういえば日本では目上の人は名前で呼んでならない事を心情とする。なので役職名が発達した。江戸時代の内匠頭なんてのもそうだろうが現代の会社でも課長とか部長とか呼ばれるのはこの伝統が生きているのだ。米なら気軽に名前で呼び合うのだろう。でなぜ名前を呼ばないかというと本当の名前は人に教えてはならぬという不文律があるからだ。どうしてといえばそれはゲド戦記陰陽師を読めば分かるとは言わないけど、名前を知られることで操られてしまうことを回避するためだ。で人に命令するのは名前を呼びかける事であり目下の者にする事となる。それが日本の美しい国の正体なんだけどまぁ千年続くといろいろな柵はあるわけで仕方ないのかなという諦めもある。で短くまとめるとこれが匿名社会の正体でもあると最近の話題にも無理やり結びつけるのだ。