社会的責任

個人が社会の代表として偶々選ばれてしまって犠牲になるということがある。加害者は社会に恨みがある。自分をこんな境遇に追いつめた社会に復讐しようとして、その社会を代表しているような幸福な家庭が選ばれる。社会が個人を追いつめてしまえばそういう事も起こりえるだろう。その時は運が悪かったと諦めるしかないだろうか。強い意志の前では私達の防御は余りにも無防備だ。だから社会はできるだけ不平等を生まない社会を目指さなければならず、それを放置すればその代償は償うはめになるかもしれない。全くの個人的な状況は防ぎようはないがそれがある世代に共通するようなものならそれは社会的責任が求められても仕方がないものだ。