表現するということ

何かの文章を読んで、そうだろうか、と思う。そうじゃないという事を書こうとして書けばそれも表現になるだろう。しかしそれはそれでありでわざわざ反論するまでもないなと思いとどまる。それに微妙な事だしまるっきり反対というわけでもないし結局はどうでもいいような気がしてくる。そもそもここで書いてる事なんかどうでもいいような事ばかりである。少しくらい角度が曲がっているからといって気にするな。そんなの気にしてばかりいるからいろんな事が気になるのだ。もっと大らかな気でいれば何も気にならない? 気にし過ぎ。神経症。なぜ差異を気にするのか。それが個人の差、自分の個性だから大事にしようという現れなのか。現代の個性が大事症にかかっている。何かを表現するにはその隙間しかないから。お笑い芸人が次々と新趣向を模索するが隙間はかなり埋められて残った僅かな隙間に光明を見いだすように。一体なんでそんなに一所懸命表現しようとするのか。自分は此処にいて存在していますという事を主張したいのか。そんな事をしないと自分の存在を保てないのか。誰もあなたの意見を求めてはいない。そんなユニークな意見も持ってないし何かを解決するような素晴らしいアイデアも持ち合わせていない。