紙媒体に求められるのは見通しの良さ。

最近は大きな活字が流行ってどこも大きくなったが情報量が求められる時代には再び小さな活字に舞い戻る必要があるかもしれない。どうせデジタルだし変更は容易だろうし読者も視力に合った老眼鏡を整備すれば大丈夫。なんと言っても紙媒体の強みは一覧性の良さだ。モニターの荒い解像度は一画面の情報量が限られるし、スクロールしたり次のページに行ったり戻ったりしているうちに元に戻れなくなってしまったり、さっき見た画面に戻れなくなったりする。紙面上はそういった事はまず起こらない。それで今読んでる記事とさっき読んだ記事をじっくり比較対照できたりする。それは紙面の限定性があるからでもあるけれど。もちろんネットでも可能だけれどそれなりの技術が求められる。また速報性でも情報量でも対抗できない。あとネットは一過性が強いという特徴もある。祭とか炎上と言われる現象もネットならではである。それらを踏まえると紙面では継続性というのが鍵になりそうである。
 まとめると、一覧性を備えた見やすいレイアウト。速報性より正確な内容。その後その事件がどうなったかという継続性。新聞を保管しておく気にさせる整理された情報の扱い。
 今の新聞は余りにも古過ぎる。勝手に事件の重要度決めて大きさに差をつけたり、人に物を教え諭すような言い回し。人が求めているのは単なる情報であって情ではない。例えばある事件が起こったら名前を決めて見出しはナンバリングして継続して追うとか、どうせ重大事件は内容が多くなるのだから面積比で事の大きさは知れるのだからタイトルは同じ大きさにするとか。広告と記事面はページを分離してファイリングし易くするとか。売る為の試みは多様にあるように見える。もう少しチャレンジする姿が感じられれば応援する気にもなれるだろうが、どうも席の上にふんぞり返ってネットのせいだと身の不幸を嘆いているようにしか見えない所が新聞社の不幸かな。
http://sankei.jp.msn.com/economy/it/071003/its0710030245000-n1.htm