自分と全く同じ記憶を持つものは自分足り得るか

しかし別個の人格が自分と同じ記憶を有しているかは外部から窺い知れない。その人格と相対していてもそれは分からないだろう。話してみて殆ど同じ記憶を持っているという事が分かるだけでは無いのか。それは自分なのか赤の他人なのか。この周りが見えて自分を感じている感覚はその別人格には宿らないだろう。宿るのか? 記憶が全てなのか。自分のコピーが出来て、全く同じ記憶を蔵して自分は日本にいて方やアメリカにいて、日本にいる自分が死んでもアメリカにいる人格が自分の記憶を引き継いで生きている事を実感できるのか。ではそのコピーが100人1000人となったらどうなるか。トランスポート問題の永遠のテーマ。