自ら蒔いた種

 人生において何らかの失敗をした人達が、偶然のいたずらを嘆くことが多い。「あの時に、あの女性に会わなかったら」、「あの時、あんな事故にさえ会わなかったら」、「息子がこんな嫁を貰わなかったら」などなど。しかし、われわれがその間の事情をよく聞くと、そこに、その人の内界にも通じる、元型的な、たとえば、アニマの、あるいは影の布置が存在していたことが認められるのである。元型的な布置は、ある「時」が来れば形成される。そのことが解らない人は、何か外的な先行事項に「原因」を求めようとして、探し出すことができず徒労を重ねたり、何かに原因を押しつけてしまってりする。しかし、それでは問題は片づかず、ただ他人は偶然を恨むだけになってしまう。そのときに布置を形成した元型の意味を知ろうとするとき、われわれは建設的な方向を見出すことができるのである。

河合隼雄先生のこと: 極東ブログ