この世界が仮想現実として現実と違いがあるか

という問題が一部ネットを賑わしているわけですが、まぁこれは仮想現実と現実を比較できなければ検討する事も意味なしというエントリでFAのような気もする。で、気になるのは発達した知的生命体がシミュレーションでこの仮想現実を作ったといった限定的な意味でこの仮想現実を捉える事はちょっと違うのかもと思ったんだがどうなんだろう。自然現象としてシミュレーションという風に考えるともっとこの仮想現実がリアル?に感じられるのではないだろうか。
 それでピンと来るのは惑星ソラリスだろう。この場合はこの惑星ソラリスの海が一つの生命体のようで人々の思念を読み取ってそれぞれの人の前に物質化して実体として現れるという機能を有していた。これだけでは仮想現実ではないが最後主人公が地球に帰って死んだはずの妻と暮らしている風な姿が映し出されそれがソラリスの海が生み出した世界で主人公は地球に帰ったのでなくソラリスの海に囚われてしまったような暗示で終わる。
 これをもっと普遍化すると宇宙の進化の一つとしてシミュレーションを志向する。無理があるな。いや、つまり言いたい事は科学実験として装置のシミュレーションでなくこの宇宙の実体がシミュレーションなのではないのかというようなことである。それではますます現実とシミュレーションとの差はなんだというややこしい話になってしまうが、つまりこれは多元宇宙、パラレルワールドの事だろう。でこの間この宇宙は多元宇宙としても否定できないという説が出ていたのでそっちの説とも結びつくのでそっちの方向でうまくまとめればノーベル賞も夢でない?
 つまり現実ってなんだという所に話は行くと思うのだが。ビッグバン自体がシミュレーションなんだよ。そうなると時空も一つでなく沢山ある内の一つでしかない。兎に角これがシュミレーションである事を証明するにはもう一つの宇宙、多元宇宙の別な宇宙に行って帰って来るしかそれを証明する事はできない。そういう意味ではこの現実から一歩も出られないのでこの現実を生きるしかなく夢も希望もなく現実は現実のまま何も変わらない。厳しい現実を生きるしかないという厳しい現実が待っているわけだ。という何とも夢の無い話に落ち着く。