分子の奇妙な振る舞い

原次郎は宇宙物理学の研究員である。そのアイデアを思いついたのは主要研究から外されヒマを持て余していたという事もあるが何か抗し難い衝動に駆られたというとオーバーだが何か見捨ててはいけない何かが隠れているという直感のようなものが働いたのかもしれない。それは「水からの伝言」という言説が流行っていたという事もあったが、音声が水分子に与える影響という事を調べてみようと思い立ったのだ。音は空気の振動を通して伝わりその空気分子の振動はそのまま境界面で水分子も振動させる。それはスピーカの前で水が波紋を波立てる事でも観察される。確かに音声は水分子に影響を与えるだろう。しかし減衰力によって直ぐにその振動は収まってしまい後は何事もなかったように終焉してしまうだろう。だからそれによって結晶が影響受けるなんてまったくナンセンスな話なのである、と考える事ができる。と考えながらまずは実験だと思い実行にかかることにした。
 しかしここでただ話しかけても自分のさして奇麗でもない声で美しい言葉や汚い言葉と言われるものを発生してもどれだけの差異が認められるだろうかという事に気づき、もっと違いが出るものを実験の対象に選ぶ事にした。つまり一般にきれいな音楽、情操教育にも植物の成長にも良い影響が与えられると言われているモーツァルトとハードロック選ぶ事にした。そして最初の実験としては影響が出易いように冷蔵庫の中で音楽を流しなが結晶ができるようにした。モーツァルト聞かせた10個の水の結晶とハードロックを聴かせた10個の水の結晶。結果はどうだったか。微妙であった。微妙というのは奇麗とか汚いというのではなくそれぞれランダムに形が現れるようでいて何かモーツァルト群とハードロック群では共通性があるような気がして来るのである。まさに見ようとすれば見え見ようとしなければ見えない。これは実験の数が少ないので偏りが出たためとも考えられる。そこで実験をもっと大掛かりにする事にした。今度はそれぞれ百個を実験対象にする。個人的な主観を入れないように観察者もどっちの群か教えずに結晶から与えられる感じを書いてもらう。コンピュータにもその形の数学的データから差異が出るかどうか確かめる。しかし結論は出せなかった。確かに法則性を認めようとすればどちらかの郡にその法則性が成り立つようにも感じられるし、ランダムの許容性に収まっているような気もする。しかしそのはみ出した所を顕著な差と認めるかどうかに掛かっているのである。
 もっと実験の対象を増やさなければならないのか。だんだんとこの実験は失敗なのではないかという予感に襲われて来た。いくら実験対象を増やしても断言する事はできないのではないか。ランダムな結果はいつだってはみ出す所がありそれを明白な差異と認めるかどうかという解釈論の迷宮に嵌る事にしかならない。実験のやり方がまずいのか。そうやって行き詰まってしまってぼんやりと実験データを眺めていた時原次郎はふとある奇妙な数字を目に留めた。それはコンピュータに結晶の形から導き出した数字データで一番客観的なデータである。そこに片方の群からだけ奇妙な繰り返しが認められるのである。何だこれは!原次郎は興奮した。慌ててコーヒーを床に零してしまったくらいである。