正統派の因習

「私が遠くまで見ることができるのは、先人の肩の上に乗っているからだ」というニュートンの有名な言葉のように、知識はすべて先人の蓄積の上に成り立っているのである。

しかしアインシュタインは先人の蓄積の上に成り立っているのだろうか。もちろん当たり前としての常識があったからそうじゃない事を思いついたとは言える。
 それよりもこの地球上の歴史は勝者の歴史であってそれは科学史等学問上の事にも言える。昔から様々な考えはあってもアカデミックに取り上げられるには正統派でなければならなかったろう。もうこの時点で学問に真の自由、何でも議論できる柔軟な考え等なかった。現代はそんな因習に囚われない自由な議論ができると思われている。所が実際はそうでもないらしい。やっぱり主流派でなければまともに扱ってもらえないという事が起こるらしい。
「迷い道」にいるのか、物理学: Aquarian's Memorandum

しかも彼らが少なくとも米国物理学界の素粒子理論物理学の人的資源を独占している。若い優秀な理論志向の物理学者は、当然のようにスーパーストリング理論の研究へ入って行かざるを得ない。ひとかどの研究ができるようになるためには、何年ものきわめて難解な数理の勉学を積み重ね、その間に業績をあげなければならない。その分野での理論研究をしないことには、理論物理学研究で就職口がない。研究に深入りすると、もう抜け出せない。部外者にはわけの分からない抽象的議論の蜘蛛の巣に入り込んでしまう。その中に住まっているかぎり、安住はできるらしい。脱出口はない。