携帯フィルタリング、ドコモの暴走

ケータイ小説がフィルタリングで危機に、という記事が出たが総務省の鶴の一声でこういう事態に陥ってしまう日本はやっぱり変だ。これでは誰も安心して事業を展開できない。もともと勝ってサイトを閉め出したかったドコモの思惑が一致しただけなのではないか。いずれにしてもこういう計画があっても二三年前から告知して事業者側に準備期間を設けるのが筋だろう。こんな事が日本国憲法下で起こっていいのか。だから総務省は勧告で強制ではないと言うのだろう。では直に従ったドコモがボンクラなのか。自主規制それはいつか来た道。いつだってそういう解決方法で済まそうとする。もうそれしか考えられないのだろう。それなりに表面でぶつからずに機能してきたから。しかし水面下で何が起こって来たか考えようともしない。それが21世紀に日本が前進できない要因なのではないのか。内輪で決めていっても法整備は進まないし開かれたルールも成立しない。ケンカが始まらなければルールも策定しようもないではないか。ケンカが無いからと言って問題が起きていないとは限らない。それは陰湿ないじめとなって水面下に沈んでしまうかもしれない。ケンカがいい所はそれが皆に見えて何が起こっているか見ている人に白日の下に晒される事である。問題点がハッキリする。ルールが策定できる。同じ問題を回避できる。そういう仕組みが日本では働かずどんどん世界から遅れをとってしまう。それで新しい考えとかルールは輸入に頼らざるならなくなって日本は何も生み出さない文化後進国となってしまう。新しい考え方とか新しいムーブメントがいつも海外からやって来る事にそろそろ疑問を持つべきだ。