活字中毒R。 - 「私が文章書きになれたのは、”夢”を持ち続けていたからではない」

才能ひとつで楽に稼げる商売になれたらいいなあ、とぼんやり考えているだけのナマケ病に過ぎない。

痛いニュース(ノ∀`) : 【論説】「頑張れば夢はかなう」は幻想、成功者の傲慢だ。そんなにうまくいかないのが普通。「可能性のよき断念」こそ必要ではないか…脚本家・山田太一氏 - ライブドアブログ


2008-02-20

もし、唐沢さんが大学時代に「夢」を捨て、薬剤師になっていれば、彼はずっとこんなふうに思いながら生きてきたはずです。
「ああ、あのとき、どうして俺は『文章で身を立てる』という夢を諦めてしまったのだろうか?」

不良息子 | 森田雄三語録ブログ

親孝行な子ほど「親の期待に答えたい」と、目いっぱいに「個性的であらん」としたのです。そして学校に入ったら「皆が個性的」だった。「数の多さ」と「個性」は逆の概念でしょう。感受性の強い子ほど、早めに「この矛盾」に気がつき学校にいかなくなる。学校に行くと「個性的な自分」が維持できない。その結果が、「引きこもり」なのです。

上二つは曲がりなりにも成功した人の話でしょうか。
でどちらとも言えない微妙な立ち位置からの意見が有り最後は世代論からの分析です。
事例は少ないのですが成功した人が“夢”に否定的で諦めるべきと諭している感じで、そうでない人がそれでも夢があったから成功したんじゃないという疑念を払拭できないでいる。ある意味成功した人は運が良かったから偶々であってこんなリスクのある方法は進められないと言っているように見える。自分は特別だったから参考例にならないとも言ってるようで皮肉的に見ればこれ以上成功する人を増やしたくないとも見える。しかしそれも成功した人の言い分のようにも見えるし傲慢の感じがしないでもない。それを世代論で叩き切ってしまうのも凄い乱暴だがそういう見方もありそうだ。
で、夢は見るべきなのか、諦めるべきなのか。振り出しに戻るみたいな。