専門性と一般性

専門家から見ると一般紙の新聞に書いてある事なんか全て悪い冗談のようにしか見えないのではないか。それでもスルーされるのは読者の理解という事を想定するからに違いない。専門的な事を理解させるには専門用語を回避して喩え話をするしかない。シュレーディンガーの猫もそういう需要から生まれたのだろう。しかし喩え話は喩え話で事実ではない。なら分かり易さを出す為には事実を歪めてしまうのは致し方が無い部分もある。それは省略であったり代入であったり、しかし正にその部分に論理の肝の部分があるという事もある。そうなると肝心の肝の部分がないのだからその論理は破綻している事になる。けどそれが通ってしまうのが現実の世界でしょう。あぁ何かまた言っているような気がする。これが私にとっての人生のテーマなのか。