戦場としてのネット空間

http://business.nikkeibp.co.jp/article/nmg/20080221/147711/

かわいそうなマイクロソフト、言いたいことも伝わらなくて | OSDN Magazine

今日はこの二つのエントリーが気に留まった。どちらも報道に対する批判という共通がある。一方は中国ギョーザ報道の総括的な批判。一方はマイクロソフト発表の報道の不正確さ。どちらも報道のあり方を批判している。肝心な事を伝えていない、視点がおかしい。正確ではない、誤報である。
 こういう見方はネットが普及して一般的になったが報道が事件を伝える存在だと思っている所に誤認識がある。報道機関とは全て政治運動機関なのである。これを報道の政治運動機関説という(今思いついた)。ならば報道機関が誤報を流すのは当然なのである。それは正確さを標榜するのではなく己の主義主張を優先するのである。だから中国ギョーザ事件は中国叩きに終始するし、反マイクロソフトが正義の錦となるというのが彼らにとっての正しい行動となる。で、これはマスコミばかりに限らない。ネットもその構図にすっかり取り込まれている。全てのブログは政治運動である。あなたの主張は世界はこうあるべきだという表明なのである。ネットはつまり政治運動の場と化した。全ての炎上は政治運動であり生々しい日々の活動であるほかない。この世に唯一の正しさなんて無いとしたらどういう世界を到来させるかという政治的駆け引きしかこの世には存在しない。イマジンでさえ政治的表明である。こうやって日々闘われる戦場がネットの現実である。