厳しい現代

人はパンのみで生きるのではない、と言います。衣食足りて礼節を知る、とも言います。現代の日本は殆どの人は食べる物も余り困らず衣食も足りているといえるのではないでしょうか。なのに無差別殺人のようなことが起こります。子供の病気で会社を休んだらクビになるような社会ではそういう事も起こりえるような気もします。これは衣食よりもパンよりも人間には大切なものがあるという事ではないのか。人は人として扱ってもらって初めてパンを欲し衣食に揃えようとするものではないのか。人間の根源には生きるという望みはあるけれどそれは生を生きる事であって身動きできないまま生かされる事ではない。栄養は与えられるけど真っ暗闇で身動きひとつできずただ生かされているだけだとしたら殺してくれと思わず叫ぶでしょう。無差別殺人とは現在をそんな状態に捉えているのではないかとも思ってしまいます。これはその人達よりも自分の主観でしかないのですが、自分のしたいようにできず、させられるままだったらそれは真っ暗の中で身動きできないのと同じ事です。自分はこうしたい、しかし実際の社会はそれを拒む事が多いです。それを解決してく事も楽しみのはずですが、無碍に禁止したり強制したりすればそこまでいく前に倒れてしまうでしょう。現代は甘くなったという見方もありますが実は現代程厳しい時代は無いのかもしれません。それも主観の問題なのですが食べるものもやっとの時代は必死ですからそういう余計な事を考えるヒマも無かったとも言えます。今は取りあえず食べられて考える時間はたっぷりとあるわけです。その中で孤立化を余儀なくされ自分に向き合ったり他人と向き合ったりする。人は深くまで入り込まず表面だけの付き合いになり誰が何を考えているかも分からない。そういう不信不安の中で孤立して生きる事の苦しさはもしかすると有史以来初めての事が現代では起こっているのではないか。あぁもうだめ。そういった世界が進行していると言ってもおかしくない。そこに目を向けなければ無責任な大人と誹られても仕方ないのかもしれん。