天動説を覆すくらいの変化を現代人は容認できるのか

社会が整備されて成熟するほど大胆な考え方の変化は受け入れがたい物になるのではないか。即ち現代は地動説を受け入れた頃よりはるかに保守的になっているのではないかと。
一つはこれだけ科学が進んだ世に天動説を覆した程大きなインパクトに匹敵するような新発見は存在しない、と多くの人々が信じている事。しかし事実は逆で科学はより大きい宇宙の今までの存在基盤を覆すような理論を多数用意している。
しかし地動説と同じようにどの説が採用されようが直接日常生活に影響を及ばさない事。しかし成熟された社会では既得権者の社会整備や法整備が進んでしまっている為に以前ほど容易に社会が変われないというジレンマが存在する。では成熟社会が腐って落ちるまで待たねばならないのか。それが人類の発展の成果としたら悲しい物があります。成熟社会が変化を排除して既成概念にしがみつく。そこには停滞と死が待ち受けているだけ。生命の源泉は絶え間ない変化である。今までと同じ社会が存続すると思うのが間違いであってその足下から再構築されて来たのがいつもの時代変化だったはず。だから我々は未来を想像するなんて殆ど不可能であるはずなのである。