サービス会社が納品形式にケチをつける

という事が日本ではままある。どうしてそうなるかというとこれは日本の国のあり方まで広がってしまうような問題なのだがそこはひとまず置いてこう。結局は相手に責任を帰着させない所から来るのだけれどこれが良い事と思っている勘違いから来るものだ。これは国際標準的には酷く相手を冒涜していることなのにそれに気付かない。これで世界とやって行こうというのだから堪らない。つまり責任問題をいつも曖昧にしておく。子供が馬鹿になったのは国の義務教育の内容のせいなのか親のしつけのせいなのか。この辺だって明確でないだろう。どこまで家庭の責任でどこまでが学校の責任か。こういうのだって契約書にサインして学校に入学させるのは西洋的な考えだろう。じゃあ西洋ではそうしているのか、どうなんだろう。
 とにかく日本では曖昧にして問題が起こった時は互いの責任にしがちである。しかし余り強く言うと自分の所にお鉢が回ってしまうので程々という知恵がついた。そうこうして21世紀。このまま行くのが日本にとって世界に対して不利になるのか有利になるのか知らんけどユニバーサルデザインなんて受け入れていれば色々と不都合が出るのは当たり前だ。じゃあそれを止めるのか。それとも日本の考えの方を変えるのか。もちろん二者一択だけが道でないだろうけど。色々な事が解明されちゃうとみんな見透かされて来てしまうという事だろう。でも結局ぐだぐだになりそうな予感はある。多くはそこまで考えない。けど生死がかかっていればそんな事言ってられないはずなのに。