社会に横たわる深い溝

世の中にパソコンが出回りインターネットが当たり前になってIT抜きの社会が考えられなうなった昨今このような社会の深い溝が横たわっているような気もする。確かにネットは社会に入り込んだがその使い方はメールくらいしか使わない人からあらゆるサービスを使い回す人まで千差万別だろう。ネットバブル時のネットを使わなければ企業が生き残れないとか劇的な競争力が生まれるとかいうものは消え去ったがITでこうすれば劇的に良くなる部分というのがITの企業とユーザー企業で分かっていないような気もする。
 つまりIT側はこうすれば便利になるというのは分かっているがそれがどの企業にも通用するわけではない。それをすべて適用すれば企業にムダな投資をさせてしまう。一方企業はITで何ができるかが結局は分からない。だからいつまでたってもIT有効利用が進まないというジレンマが生じるのではないか。もちろん大企業は痛い授業料を払って学んできたろうが中小企業などはそんな余裕も無く未だにメールくらいしか利用していないという例はありそうだ。でうかつに相談すれば怪しげなコンサルタント会社に食い物にされるのではという危惧に苛まされる事になる。こうして双方が宝の持ち腐れのままパソコンとネットがあり有効に活用できないまま朽ち果てていってるのが日本の現状なのか。もちろんそんなレベルの低い所はそれも競争力なんで淘汰されていけば何の問題も無く世界は平和なのかもしれない。なにも善人らしく振る舞って雨ニモ負ケズの意気込みでITを蔓延させることはないかもしれない。もっと人間的なふれ合いが大切なのさ、と言ってしまってもいいのかもしれない。これが社会の過渡期なんでよくある現象に過ぎないのか。
 ネットで何が出来ると言ってもまだまだ実験的な要素が多くて次々と変わっていくサービスを企業活動に委ねるのはリスクが大きいのかもしれない。いやその前にパソコンを使えているのかが問題なのかもしれない。デジタルデータになってそれが開く開かない、そのデータは前の奴だよ、これどうやって送れるの、これって使えないのと現場では様々な混乱を呈しているようでもある。そう考えると果たして効率化に寄与しているのかという疑問が。そういえばもう10年前くらいか米国でパソコンは企業活動を効率化したかなんて議論もあったがもうとっくに後戻りできない所に来たのだろう。では日本ではどうなんだ。もちろん設備的にはコモデティかした危機が安価に手に入るという意味では後戻りできないのだろうけどそれを使いこなせるのかというとパソコンが普及する前からの人材を含めてまだまだという部分があるだろう。でそこを有効化しないと日本はどうも浮上できないのではという気がするのである。