欲望と現在地

自分を現在地に連れて来たのは欲望と惰性と諦めの複合結果なのだが。何々したい。その結果は読みもしないのに溜まってしまった蔵書。そういうのがあちこち紛れて発掘される毎にとてもこんな情報を整理できない様な人間に無理だと悟らされるわけですが。それって今まではダメだったけどこれなら行けると思う単なる逃げかもしれんなとも思う。あぁ世の中本屋にはいろいろな本が並んでいるが荒野って何か保険のように購入してしまう本てあるような気がする。とにかく買っとけば安心と。だから買う事が目的化してしまって買ったら安心でもう読む気が失せてる。つまり本屋にはそういう目的の為の本がある。そういうのは読む為の本でなく、まさしく積読するための本なのだ。だから乱造本だと一概に責められるものではない。需要と供給の原理に従って求める人がいるから与える人が現れるわけで、まさしくどんな本も敬虔で崇高な役割がある。でまさしく現在地は自分の自由意志の選択の結果なのだがそれも神のみわざの結果でもある。なんかもがいてるだけなのか。