ていうか生とはなにか

自意識が単なる勘違いなのだとすれば死の意味もまた変わる。そっちが正常で生きてる方が異常なのだ。自分という体に閉じ込められそれをいつの間にか自分と思っている。それがそもそもの間違いだったとすれば。自分が生きているという事が幻想なのです。けど体は現に生きているからな。意識というのは論理の部分を抜き出せばそれは言葉にも定着できるので生きているのは必要条件じゃない。もちろんそれをもてあそぶ事はできないが。感情という部分を含めて生きている事の十分条件が整うとも言えるが。それは体の密接に結びついている。では体から独立した部分は論理だけではないか。やっぱり死はそんなに悲しむべき事ではないのだな。そんなに悲しむ事は罪深い事なのですよ。さっさと忘れろってね。あぁ無情。